モーパチ
記事一覧へ公開日: 2016/07/31
↑鏡面仕上げになっている石の表面に撮影者の雄姿がチラリ。
こういう場合は何セルフィー?
(´・ω・`)?
さて、名波篤史(あつし)のパチンコ発祥の地探訪も、いよいよ大詰め。
「戦後のパチンコ発祥の地」ともいうべき、名古屋市西区の浄心(じょうしん)交差点付近に来ています。良くも悪くも戦後のパチンコ業界は、ここらへんを中心に動いていったのです…
1942年(昭和17年)
…太平洋戦争突入によりパチンコ全面禁止
1943年(昭和18年)
…日本全国にパチンコ店0軒
1944年(昭和19年)
…同じくパチンコ店0軒
1945年(昭和20年)
…戦争が終わるも、まだパチンコ店0軒
1946年(昭和21年)
…春以降、正村竹一さんが開いた「浄心遊技場」(名古屋市西区)のほか、愛知県にて数軒のパチンコ店が復活。
※まだ「正村ゲージ」は開発されていません
1947年(昭和22年)
…正確な軒数は不明ながら、全国的に少しずつパチンコ店が復活
1948年(昭和23年)
…正村竹一さんが釘の配列と裏機構(入賞球を払い出す仕組み等)を研究し、正村ゲージがほぼほぼ完成。
1949年(昭和24年)
…パチンコ店4818軒
手動式の「正村オール10」が登場し、スマッシュヒット。
1950年(昭和25年)
…パチンコ店8450軒
裏機構を改良した「正村式オール10」「正村式オール15」が登場し、大ヒット。正村商会の作るパチンコ台は、まだ月産100台程度。
1951年(昭和26年)
…パチンコ店1万2038軒
名古屋市西区付近に正村商会のパチンコ工場が7ヶ所も作られ、月産2万台態勢に増強。飛ぶように売れたらしい。
1952年(昭和27年)
…全国のパチンコ店4万2453軒に急増
名古屋の豊国遊機製作所が機関銃式パチンコ(上皿付きのパチンコ台)を開発。1分間に100発以上の玉を打ち出すことが可能になった。
1953年(昭和28年)
…パチンコ店4万3452軒
名古屋のツバメ製作所が電動式パチンコ(モーターの回転により玉が自動的に発射される仕組み)を開発。1分間に200発以上の玉を打ち出すことが可能になった。
モーター式のパチンコなので、略して
モーパチと呼ばれていたんですってよ。
そんな言葉、聞いたことないよ
(´・ω・`)
ちなみに現在、玉の打ち出しは1分間に100発以内と決められていますから、1分間に200発といったら2倍です。
ものすごい勢いでパチンパチンパチンと連続で玉が飛び出していったことでしょう。
当時、「さすがにそれはヤリすぎだ」と業界内からも批判があったそうです。あっという間に玉が無くなってしまうので、客の懐が付いていかなくなる事態に。
案の定。
1954年(昭和29年)
…パチンコ店2万9416軒に減少
秋の全国警察本部長会議にて、連発式パチンコを規制する方針が確認される。
1955年(昭和30年)
…パチンコ店1万2391軒に減少
連発式のパチンコ機は3月末をもって全て撤去。
1956年(昭和31年)
…パチンコ店9365軒に減少
名古屋市西区付近にあった正村商会のパチンコ工場は1ヶ所だけを残し、あとの6ヶ所は閉鎖・解散。
1957年(昭和32年)
…パチンコ店8487軒
射幸性の低い単発式のパチンコ機で営業。
1958年(昭和33年)
…パチンコ店8792軒
全国のパチンコ店の総数が下げ止まる。
なんだか、ほんの10年ぐらいの期間なのに、上へ下へと浮き沈みが激しいと思いませんか?
パチスロが4号機から5号機へ移行したときも浮き沈みの波が荒かったですけど、それ以上ですよね。
5号機から6号機に移行するときどうなるかは、正直わかりません。
(´・ω・`)
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