戦後のパチンコ発祥地
記事一覧へ公開日: 2016/07/24
昭和11年の秋、正村竹一さんが名古屋市で『スピード野球ボール』という名前のパチンコ店を出したことについては、以前お伝えしたとおり。
店内には15台のパチンコ機(=鋼球式の「スチールボール野球器」)をコの字型に配列し、アイスキャンディーなども売っていたとのこと。上の写真には「沸騰」「冷却」「殺菌」の文字が見えています。
場所は弁天通(べんてんどおり)商店街。
弁天通り商店街は名古屋城の西、現在の名古屋市西区にあります。名古屋駅から徒歩で行くには、ちょっと遠すぎるかなという距離感です。
ただし、このパチンコ店は「パチンコ発祥の地」でもなんでもありません。
正村さんが経営するパチンコ店としては記念すべき第一号かもしれませんが、日本のパチンコ店としては第一号ではありません。
鋼球式のパチンコ台を開発したのは正村さんではなく「円頓寺商店街の藤井さん」ですし、まだこのとき、正村ゲージは世に生まれていないですし。
しかし、この弁天通商店街は、今に通じる戦後のパチンコ界においては、とんでもなく重要な場所になります。
現代パチンコを語る上で、ここ、弁天通り商店街を無視することは絶対にできないのです。
名古屋市営地下鉄「浄心駅」の1番出入口。
ここが現代パチンコ発祥の地に迫るための、スタート地点になります。
なにかヒントになるものが残っているのかどうか。現場を探ってみたいと思います。
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